社会人としての考えを創る就職活動

就職活動は人間性教育と考える就職担当の話

ノルマを課すが本当に悪いシステムか?

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❖私の友人のThe営業の方の話

私の友人に少額の基本給+業績給という方がいます。The BtoCの営業という感じです。この方が先日憤慨していました。「〇〇さんの仕事のノルマが大変そう」このように言われたそうです。その方曰く「自分の仕事にはノルマは無い。やった分だけが給料になる仕事だ」とおっしゃっていました。確かに考えてみると業績給がやった分だけ入るわけですからノルマは無いですよね。

やらなければ給料にならない、やれば給料になる、このような仕組みで働いているわけでありそこにノルマは存在しない。この考え方になるほどと感じました。

❖ノルマって何??

何回かテーマとしてこのブログで出しましたが、今日はノルマについてもう少し深く考えてみます。ノルマを辞書で引くと「基準」特に個人や工場に与えられた仕事の基準量とあります。ちなみにロシア語です。シベリアに抑留されていた日本人が復員後に伝えた言葉だと言われており、強制労働的な暗いイメージのある言葉です。

さて、ノルマは嫌だと言う学生によく話すことがあります。こういう学生に「ノルマって何?」って訊いてみます。そうすると「会社から押し付けられる目標」「上司から強要される売上」などと答えてくれます。「押し付け」「強要」など、やはり強制的なイメージがあるようです。

❖私のレポート課題の出し方

少し自分ごととして考えてみると、教員になった当初、学生にノルマを課すことで学生の成長を創ろうと考えていた気がします。別に意識していた訳ではないのですが、結果そうなっていました。例えば、レポート課題で「Word・10.5ポイント・MSPゴシック・A4サイズ3枚以上・図表は別添」などの指定をつけ学生に強要するなどです。この課題提示の場合、真面目な学生は条件にはめようと一生懸命文章をだらだら書いてくれました。その、だらだらした文章をイライラしながら読み評価をつけていました。さてこのレポート課題の出し方をすると学生たちは量をこなすことに注力し、そこが目的となります。しかし、私が望んでいるのは質であり量ではありません。そのため、私はイライラするのです。

そのうち、学生というものを理解するようになり、指定をなくしていきます。現在のレポート課題の出し方は「良いレポートを書いてください」以上です。私の課題の出し方に慣れていない学生は「先生、最低何枚ですか?」と聞いて来ますが「できるだけ短く簡潔に」と言うようにしています。(そのうち漢字1文字で提出してくる猛者が出ないかワクワクしているのですが、まだいません…)また、提出されたレポートはよく読んで、理解していない部分や足りない部分があれば資料をつけるか全体に講義してから返却するようにしています。また、強制ではなく再提出を促すこともありますが、その場合は学生と相談し、方向性を決めたところでお願いするようにしています。この場合、手を抜こうとする学生が出て来ます。しかし、そのような学生はほとんど再提出には応じませんので、真剣に行おうとしている学生との有意義な時間を過ごすことができます。また、真剣に行おうとしている学生は、相談をした上で良いレポートを仕上げる事を繰り返すうちに、成長し私の指導などなしで良いレポートを作るようになります。また、それを繰り返し目に見えて良いレポートを作る学生が増えると、今まで手抜きをしていた学生も少しずつ前向きに課題に取り組んでくれるようになりました。

前者と後者の課題、私は目的を変えました。前者は私のノルマとして学生の学力向上を図るために、学生全員のノルマとして良いレポートを書かせようとしました。それに対し、後者のレポート課題は私の目標として良いレポートを学生に作ってもらうことにした訳です。

❖「ノルマがある」「目標がある」どっちが良い?

最初にお話ししたBtoCの営業を行っている友人の話で考えてみると、自分の仕事には誰かから強要されるノルマはなく、自身の目標があるだけと言いたいのだと思います。さらには、その目標を達成し続けることに誇りをもち日々努力しているのではないでしょうか。

皆さんにとってどちらが良いでしょうか?多数の人は後者の課題提示方法が良いと言うのではと考えますが、どうでしょう。私が担当する学生達も後者が良いと言います。でも、私の感覚では後者は手を抜く学生を見捨てて、評価できる学生を伸ばしただけなのですが...

そうなのです。私はノルマや目標の先にある評価は一切変えてないのです。また、学校から私に対しての評価方法も基準も全く変わっていません。私は私の評価を上げるために与えられたミッションをノルマと考えずに目標と考えるように変化させました。そのため、学生にノルマを課すことをやめ、自分の目標として考えるようになった訳です。

結果、見捨てなければいけない学生が出て来ました。また、学生にとっては課題を自分ごととして能動的に行った学生は評価され、受動的に行った学生は評価されなかった。このようなことになります。つまり、私は昔に比べ、学生に対しドラスティックになったのです。

❖本当にノルマがなくって大丈夫??

全体を底上げするためのノルマはある意味、誰も見捨てることなく過保護に業務を行う方法。そのために、与えられた側は受動的になり自分事と考えられなくなり、組織の上にも下にも不満がたまる。また、目的を見失うことが多くなる。それに対し、目標というシステムはそれを持てないものに対しては、厳しくドラスティックなシステムとなり見捨てられる。しかし、目標をもち覚悟をもって取り組むものに対しては、手厚く、上長や同僚とチームとして一緒に業務に取り組むことが出来る。このような感じではないかと考えます。

ノルマが嫌だという学生は多いです。私もノルマは嫌です。しかし、ノルマは社会主義のシステムらしく落伍者を作らないシステムです。怠けたい、さぼりたいという方にとっては、いやでも責務を果たさなければなりませんから、良いシステムなのではと考えてしまいます。

目標で考える組織が良い組織だと私も思います。でも、目標をもって達成するための努力を出来ない人は落伍者となり、去らざる負えなくなるのがこのような組織の特徴です。また、ノルマを強要する組織にいたとしても、それを自分事の目標に変換できる人は、たいていの場合、頑張って良い成績を出します。

結局は目の前の責務を自分事と考えるか、他人事と考えるか、だけの話だと思います。是非、責務は果たす人間になってください。どんな組織にいても、評価基準はそれを果たすか果たさないかのみです。そう考えてノルマなど気にしない人間になって欲しいと思います。

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