社会人としての考えを創る就職活動

就職活動は人間性教育と考える就職担当の話

働くことについて考えてみた

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❖働くってなんなんだろう??

本日は働く意義について少し考えていきたいと考えています。私は働けることが幸せです。働いて誰かの為になることを考えると本当に嬉しいです。私がこのようになった背景には、ある出来事が関係しています。この出来事を通して働く意味を考えるようになりました。

❖ちょっと身近な事例で考えてみた...

実を言うと、私の妻は障碍者です。20年前33歳の時に脳静脈奇形からくる脳出血で倒れました。脳出血で倒れた時には、しゃべることもできず、動くこともできずの状態でした。そこから、治療やリハビリを続け、6か月後には言語障害・数的能力の低下・右半身の運動能力の低下はあるものの、退院することが出来ました。その後6か月間リハビリを続けましたが、障碍は残りました。右半身の感覚が戻らず、自分の目で動きを見ないとどう動いているかわからない状態。電話だと家族にも通じない言語能力。その時、障碍者申請はしませんでしたが、申請すれば間違いなく障碍者1級の状態でした。(10年後もっと回復した状態で申請した時に1級でした)医者からも「それ以上回復の見込みはない」と言われ、家事から育児まですべて私が行う覚悟をしました。仕事は忙しく、子供は小学1年生、どうしたものかと途方に暮れたことを今でも覚えています。

妻の退院後は、妻の介護や子供の世話、さらには仕事と必死で動いていたのですが、なかなか上手くいきません。今まで料理もまともに作ったことのない私が家事全般を行うことに無理を感じていました。そんなある時、妻が食事作りを行うと言い始めました。寝たり起きたりの生活だったため、心配したのですが「きちんと子育てをしたい」という思い、きちんとした家庭にしたいという思いで私を説得してきました。それから、妻は毎日、朝2時に起きて朝食とお弁当作りを始める日々がスタートしました。7時の朝食に間に合わせるために、動かない体を動かして、2時から5時間の格闘が始まったわけです。朝食づくりが終わったら夕食作り…夕食が作り終わった7時ころには就寝し、私が帰るころには息子が待っているという状態でした。

買い物は小学生の息子が担当し、私は若干の家事手伝いは行いますが、ほぼ仕事に専念できる環境になっていました。PTAなどには参加できませんが、言語も段々と復活して、運動機能も向上してきているように見えました。妻や妻の主治医に確認すると、右半身の感覚は全く回復しておらず、言葉も変わっていないというのですから、良く頑張ったと思います。その後、子供が東京に行き、犬を飼い始めると、散歩や買い物までも行けるようになっていきました。今も朝3時に起きて(前より調理が上手くできるようになり1時間短縮しました)私のお弁当と朝食づくりの日課は変わらず、続けてくれています。主治医にその話をすると「その体で良くできるね」と驚かれます。そのような妻に心から感謝すると共に、人って凄いと思います。

❖働くモチベーションって...

「ねえ、なんでそんなに動けるの」と妻に聞いてみたことがあります。その時には「だって、お父さんはやってくれないじゃない」「私がやらないで誰がやるの」と返されてしまいました。「妻を動けるようにした自分の『ぐうたらさ』が妻を直した」と、妻に自慢すると「バカ」と冷たく言われてしまいました。

さて、このような妻を見て、私は「コミュニティに所属し必要とされること」が人の幸せなのではと心から思います。退院後、食事を作り始めるまでの妻は、まるで駄々っ子のようでした。突然癇癪を起してみたり、泣いてみたり…。でも、私たちの食事を作り始めてからの妻は辛そうでしたが活き活きしていました。まるで水を得た魚のように元の妻の性格に戻っていきました。また、犬を飼い始めた時からは、家族のように犬を可愛がり、障碍を持ってから15年間できなかった散歩、さらには買い物まで出来るようになりました。

私から必要とされ、息子から必要とされ、犬から必要とされ、家族というコミュニティがやる気を作り、そのコミュニティから必要とされたことが妻を動かしたと考えています。

❖企業というコミュニティで必要とされる幸せ

ところで、職場もコミュニティです。このコミュニティから必要とされると嬉しいです。就職して働く楽しさは「企業というコミュニティの中で役割を担って、お客様を始めとするそのコミュニティに関わる人たちから必要とされること」ではないかと私は考えます。そして、必要とされることがやりがいを生み、自分の成長につながると思っています。